
2011年2月23日(水)
早くやらなければ!と思いながらも後手後手になっていた”薪づくり”。今日は、かなり進みました。薪の調達先は、基本的に家の近くが多いです。なかなか大変な作業でしたが、基本的に”整備”を兼ねて薪づくりをするのが僕の理想なので、今日は良い作業ができました。誰かがカフェまで大量の薪を持ってきてくれる・・・というのも、もう一つの理想形ですが・・・。とりあえず、今回は自宅前の沢に倒れていた雑木を片付けれたので気分的にすっきりしました~。ちなみに、上の写真はご近所さん宅周辺から収穫。

今日は、なんと助っ人が登場!同じ集落に家を借りているK氏。初めて一緒に作業する割に、かなり息が合ってスムーズに作業が進みました~。
問題視していた自宅前の沢へ。去年切り倒した雑木が結構あるのだが、引き上げるのが難しいと考えていた。K氏に相談したところ、ロープでくくって引っ張り上げるのがいいと言う。なるほど、それでやってみよう!ということで、K氏にチェーンソーで木を切って運ぶ作業をしてもらい、僕が沢から木を上げる作業をすることに。
なかなかロープで引っ張り上げる作戦がうまく進んで、作業は順調でありました。手伝ってくれたK氏に感謝!!

木を引っ張り上げるところを撮影。自分で撮ったので腕がきつかった~。
集めた木は、チェーンソーで玉切りしてから斧で割ります。燃料にするまでには、できれば半年以上、理想は一年以上は乾かしたいところです。特に薪ストーブで使う場合は乾燥しているほど良いと言われています。

さぁ、明日は薪割りだ!・・・と言いたいところだが、明日は確定申告行ってきます!
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- 2011/02/24(木) 02:25:39|
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2011年2月20日(日)
前回の記事で、サラッとしか書けなかったM氏のことを今日は書いておきたい。そもそも、リアカーを引っ張って歩いて日本縦断する人も珍しい。僕が実際に見たことがあるのは北海道で会った”おじいさん”(半分 浮浪者みたいだった)とM氏だけである。実際のところ、この世の中にはリアカーマンと呼ばれる怪しい旅人が存在するのだ。
M氏のリアカーを引っ張る姿を写したデータを探したのだが、どうも見当たらない。確かに写真を撮った記憶があるのだが・・・。そうこう考えていると、その時期にPCが突然壊れてしまったことを思い出した。ちゃんと保存してなかったのだろう、その頃の画像データは失われたままだったのだ。
そういえば、絵を書くのが上手だったM氏が手紙をくれたのを思い出した。旅を終えてから、全国のお世話になった人達に送ったもので、一応僕もその中の一人だったのだ。その時もらった絵がいい感じだった。余談であるが手紙を読み返すと、我が家を出た後は本山町のカフェ・ミシシッピにお世話になったと書いてあった。すっかりそんなことは忘れてしまっていたけど、今度ミシシッピにお邪魔した時はM氏のことを聞いてみたいと思う。
M氏との思い出で一番強烈だったのはユーコン川を下っていた時のことだ。カナダからアラスカへと入って、最初の村にイーグルという町がある。ここに着いたときにM氏に出会った。少数派の日本人同士ということで、すぐに仲良くなった。
実は彼、その当時ユーコン川を下るのが2回目だった。そんな訳で、イーグルの地元住民ともちょっとした顔見知りだったりして、意外と人気者であった。特にマーク、ヘレン夫妻の子供たちに人気だった。何人いたか忘れたが7~8人ぐらい子供がいて、一番小さい子がユーコン川の水をノンフィルターで”カブ飲み”しているのを見て驚いた。かなり泥水なのだが、全くおかまいなしだった・・・。

マーク、ヘレン夫妻の子供たちとスラジ。大豊を遥かに超える辺境の地ですくすくと育っていた。
さて、その強烈だったという思い出。それは、M氏と共にマークに連れて行ってもらった砂金採り(gold panning)だ。北米では、かつてゴールドラッシュなるものがあって金が有名ではあるが、現在もまだ採っている人達がいるのだ。
マークは”ウサマビンラディン氏”のような風貌で、メチャクチャな男だった。自分で家を建て(増設しまくりの”掘っ立て小屋”みたいだった)、ハンティングをし、金を採り、子供たちを育てていた。
「砂金採りに連れてってやる」と言い、僕とM氏をピックアップトラックの荷台に乗せて、荒野を走りだした。夏とはいえ、北極圏も近いので死ぬほど寒かった。僕達は耐え切れず、荷台にあったゴワゴワの汚いシートに包まってなんとか耐えたのだ。
砂金は川沿いで採る。砂金採り用のキャンプ地も渓流沿いにあった。到着すると、「前を歩け」と言われたので、さっさと歩く。すると僕達に気づいたキャンプ地の番人が見えた。なんと、すかさず手にライフルを持っているではないか!
後ろから現れたマークが、嬉しそうに”目配せ”していた。全くのブラックジョークである。見知らぬ人間が見えたので銃を構えたのだ。クマ用だ言う”銃”であるが、ほんとにいっぱい用意してあった。(僕達は人用だと言い張った!) マークがコートを脱ぐと、彼の腰にはハンドガンが腰に2丁あり、弾丸が”タスキ掛け”になっていた。「カッコイイね!」というと、腰のハンドガンを2丁ともクルクルと指でまわし、空に向かってバンバン打ちまくり始めた・・・そして一言「Thank you」・・・!!。
肝心の砂金採りは、ほぼ機械が勝手にやってくれていて、想像していた”お皿ですくう”のとは全然違っていた。その日の夜は、そのキャンプ地で賑やかに食事を食べさせてもらった。ライフル、ショットガン、ハンドガンなども一通り打たせてもらって、いい経験をさせてもらった。とにかく全てがワイルドすぎて信じられない感じだった。M氏も同じ心境だったに違いない。
その時の写真があれば良かったのだが、僕はカメラを持ってなかったし、持ってたとしても怖くて撮れなかったと思う。実際、M氏はカメラを持ってたけど、ほとんど撮っていなかった。夜になって、またまたピックアップトラックの荷台に乗ってイーグルの町へ帰ったのであった。本当に強烈な夜だった。

左から、マーク、ヘレン、スラジ、M氏。ちなみに僕が着ているジャケットはマークからもらった。
- 2011/02/21(月) 00:53:35|
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2011年2月15日(火)
随分と前の話になってしまうが、ムッシュとスラジの赤ちゃんが誕生する前日に、友人が自転車で高知へ遊びに来ていた。友人は我が家に泊っていたのだが、夜明け前に出産に立ち会うため僕が家を出たため、その友人とは夜中にお別れしたっきりになっていた。
彼とは5年ぐらい前に知り合った。彼は当時 自転車で日本一周の旅をしていて、ちょっとした経緯があって我が家に泊まることになったのだ。というのも、その日は別の友人がM氏が我が家に泊まりに来る予定だった。M氏は、ユーコン川で知り合った友人で、その時はリアカーを引っ張りながら歩いて日本縦断している最中であった。そのM氏が、偶然にも彼と仲良くなって、一緒に我が家に泊まろうじゃないか!という話になったのであった・・・。結局、彼らは4日間ほど我が家に泊まり、その間は僕の車を使っていろんなところへ遊びに行ったりし、夜はビール三昧で”ぐうたら生活”で堕落した生活を送っていた。当時、僕はラフティングガイドとして吉野川で働いていて、家に帰ると彼らのご飯を作り、風呂を沸かし、大変だった。流石に、4日目に2人が家を出るというのを聞くとホッとした。まぁ、いまとなっては良い思い出である。
その彼が、今回また現れたのには訳がある。実は彼、この3月から自転車で”世界一周の旅”に出るのだ。やり遂げれるかは、やってみないと分からない。行くというのだから応援するしかないのだ。最初に行くのはニュージーランド。僕もかつてニュージーランドを自転車で一周したことがあるので、話を聞きに来たのだ。実際のところ「なんとかなるさ~楽しいよ~」などと適当なこととしか伝えられなかったが、言えることはそのぐらいしかなかった・・・。まぁ、5年計画でしっかりお金も貯めたようだし、わざわざ僕のところへ来てくれたのは嬉しかった。
彼の人生を見ていると、少しだけ自分と重なるところがある。
僕は二十歳のころ、大学を休学して自転車で日本一周の旅に出た。約半年間、いろんな出来事があったし、たくさんの人達に出会うことができた。最初は、いろんな場所へ行ってみたい!という気持ちが強かったが、旅を続けるうちに、人との出会いが自分の財産になっていくことを肌で感じるようになった。
とても思い出深い人がいる。
北海道、稚内のキャンプ場、利尻島のキャンプ場で一緒になったTさんだ。Tさんは当時、彼女と一緒に北海道を車で周っていて、いろんな話を聞かせてもらった。Tさんは、かつて日本はもちろん、オーストラリアを2年かけて一周&縦断した自転車野郎で、これから北海道で酪農を始めたい、まずは雇ってもらうところを探すと言っていた。
それから、1ヶ月ぐらい後だっただろうか・・・僕が根室のホームセンターでウロウロしていたところ、そのTさんにバッタリ再会したのだ。聞くと、この1ヶ月間に彼女と結婚して、働く場所も決まり、今さっき婚姻届を出してきたところだ・・・と言う。なんという偶然。根室から納沙布岬へ向かう途中に、Tさん夫婦がこれから暮らす家があると言う。今日、引っ越してきたと言う。泊まりに来い、というか引っ越し手伝え!と言う。そんなわけで、Tさん夫婦の新居(家は新築ではないけど・・・)1日目という記念すべき日に、僕は邪魔者になりに行ったのだ。

その時の写真。あんまり手伝えなくてすみませんでした!
Tさんと出会ったことで、僕も海外を自転車旅行してみたいと思ったし、Tさんのように自分の歩む道を突き進む生き方に”強い憧れ”を持つようになった。現在Tさんは、北海道の違う場所で自分で酪農をやっていて、子供も3人いる。年賀状でしか連絡のやり取りはないが、現在でも僕の人生にとって目標となる人なのである。
話は戻って、これから世界一周に出るという友人。彼にとって、僕はどんな人間だろう?僕にとってのTさんみたいな存在になれたらいいな~なんて思う。
「これから世界一周かぁ・・・。ちょっと羨ましいな。」
僕がそう言うと、
「結婚して、自分でお店を持って、これから子供も生まれるスラジさんのことが、僕は羨ましいです。」
そう言ってくれた友人に感謝!死なん程度に楽しんでこいよ~!!
<番外編>

ユーコン川で知り合ったM氏。

自転車でニュージーランド旅行中のスラジ。ヨーロピアンのサイクリストと共に。
- 2011/02/14(月) 23:13:12|
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2011年2月14日(月)
本日は朝からの降雪がすごかったですね。高知とは思えないほどの降り方で、国道もドンドン雪が積もっていきました。こんな天候になるとは思いもよらず、立ち往生された方もいらっしゃったのでは・・・と思います。カフェの前でも、一旦停止してしまった車は、タイヤが空回りしたりしていました~。
カフェの近くで、動けなくなってしまった若い女性の二人組もいらっしゃいました。偶然にも、地元消防団のご近所さんの”姪っ子”にあたる方でして、そのご近所さんもカフェへ駆けつけてくれました。二人は仕事も関係上、今日中に香川へ行かないといけない・・・とのことで、非常に難しい状況でした。というのも、JRも一部運転見合わせしていたし、乗れる車もなかったからです。結局、我が家の車を出動させ、ご近所さんに運転してもらい、二人を坂出まで送ってもらうことになりました。もう無事に到着したでしょうか??

こんなに降ることは珍しいですよね~。今日は、スラジもカフェの前で車を押したり、カフェのトイレを貸したりしてました。冬タイヤ 備えがあれば 憂いなし・・・ですね!

そんなこんなで、今日のお客様は一人のみ・・・。いろんな意味で奇跡の来店でした。実を言うと、近くに住む友人だったのですが・・・おかげ様で気持ちが萎えずに済みました!
- 2011/02/14(月) 20:46:37|
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2011年2月12日(土)
今日は寒い一日でしたね~。どうも高速道路が通行止めだったようで普段より国道32号線は車が多かったですね。県外ナンバーの車も多かったように思います。
今朝、カフェへ一本の電話が・・・。
「今から(高知から)和歌山へ帰るのですが、そちらの辺りの道路状況はどんな感じですか?」
おお!まさかそんな質問をされるとは!って感じでしたが、道路状況情報だけでも分かる範囲内のことはお答えしますので、お気軽にお電話くださいね。
今日は終日パラパラと雪が舞うような天気でした。そんな中、一瞬でしたが”あられ”が降りました。思わず、外へ飛び出し撮影。粒が5mm未満のものは”あられ”というそうですね。高知ではなかなか珍しいのではないでしょうか?粒も小さかったので、すぐに溶けて跡形もなくなってしまったのが残念でした。
こちらは我が家の前を撮影。

話は変わりますが、徐々に来年用”薪作り”開始しております。とりあえず、我が家の目の前の”沢”に倒れている雑木がターゲットであります。なかなか大変な作業ですが、薪は我が家にとっては貴重な燃料なので、なにがなんでも集めなくてはならないのです。沢もキレイになりますしね。目指せ、ゆとりある薪ストーブ生活ですね~。
- 2011/02/12(土) 22:45:06|
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2011年2月10日(木)
新しい家族が増えたりすると、久しぶりに学生時代の友人達から連絡がきたり、こっちから連絡したりなんかする。僕の大学時代の友人で、いまだに連絡を取ったりしているのは数人しかいない。しかしながら、なかなか楽しい学生生活を共にした友人達なので、話をすると延々と懐かしい話題が出てきたりする。ついこの間なんかは、1時間近く話し込んでしまい、かかってきた電話だったので申し訳なかったなぁ・・・と深く反省したのである。
僕は大学の1回生から、大学から近い場所にある荻原荘という安アパートに住んでいた。風呂・トイレ・キッチン共同の6畳一間の昔ながらの学生専用アパートで、家賃は月15000円だった。僕が住み始めた当初は、「最近、学生が住みたがらない」という理由で、単身赴任のおっちゃんとかもいて、休みの日には廊下でゴルフの素振りをよくやっていた。時たま、素振りしているクラブが廊下に当たって、ものすごい音がしていたのが懐かしい。
そんな荻原荘を舞台に、かなり面白いことがたくさんあったのだが、まだ現役で荻原荘は存在しているので下手な話ができないのが残念である。とにかく、変わった人が多かった・・・。
この荻原荘に一緒に住んでいた友人がいて、部屋も近かったので、よく一緒にいたものであった。その友人が、ついこの間 電話で「オレの寝ながらポケットハンドしてたっていう写真、見せてくれよ」と言っていたので、探してみた。友人は当時、バイトと授業と研究とで疲れ果てていて、しょっちゅう部屋のドアを開けっ放しで寝てたりしていた。ある時、その状態を僕が写真に収め、その姿をポケットハンドと名付けたのだった。ちなみにポケットハンドというのは、詳しい説明が難しい・・・どうしても知りたい方は「刃牙」(マンガ)を読んでみて。
それにしても・・・探すのに苦労しました~

訳わかんない話ですみません!
- 2011/02/11(金) 00:01:39|
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2011年2月1日(火)
冬はパッとしない天気が多いですが、晴れるとホントに空がキレイです。澄んだ空気を吸い込んで、ゆっくりと深呼吸すると心が落ち着きますね。
私事ながら、1月25日に赤ちゃんが生まれ一週間経ちました。27日の早朝に、出産した岡山の病院を出てからは、赤ちゃんの様子をムッシュに教えてもらってます。赤ちゃんが生まれてから2日目にスラジは高知へ帰ってきたわけです。
先日、ふいに知人から「(高知に)帰ってくるの早くないですか?」と言われて、ドキッとしました。もう少しムッシュと赤ちゃんと一緒にいてあげたほうが良かったんじゃないですか?と言われている気がして、ちょっと辛い・・・。もっとも知人は、”せっかくの初産なのだから、もう少しゆっくり休んでも良かったんじゃない??”ぐらいの軽い気持ちだったと思うのですが。
実際のところ、カフェは休もうと思えば休めるのですが、簡単に休めるわけではないです。不定期に休みすぎると、せっかく来ていただいたお客様に迷惑をかけてしまいますし、見放されてしまうかもしれません。もちろん、長い間休むと、その分の収入がなくなってしまうのもかなり厳しいことです。家族も大切ですが、僕たちの生活の糧となるカフェも大切なものなのです。
二人で旅行へ行ったりすると、二人ともいないのでカフェは休まざるを得ませんが、今はスラジだけはいますので、一人でできる範囲でカフェを頑張っていこうと思っています。明日からも頑張るぞ!
- 2011/02/01(火) 23:41:11|
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