大田口カフェLIFE

ムッシュとスラジの生活・思考をスラジの観点から書き綴ります。

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土佐の昔話

2010年3月20日(土)

先日、僕達が住む”大砂子”という地区の区長さんのところへ用事があって、お家へお邪魔することがありました。いろいろ話をしてもらって楽しかったです。なかでも、昔の暮らしを垣間見るような話があって興味がわきました。


いまから60年ほど前の話になります。
中学を出たばかりの青年は、一家の長男ということもあり、すぐに働き始めました。その仕事は、吉野川でとれる鮎を”集める”こと。近所の魚屋さんのお手伝いをしていたそうです。

朝、魚屋のおじさんが自転車で”大久保”(今、モンベル岩原店がある近く)から小歩危駅まで移動します。その当時は、国道も未舗装の一本道。滅多に車も通らなかったそうです。今の国道とは、比べものにならないほど曲がりくねった道だったそうです。小歩危駅に着いた魚屋のおじさんは、小歩危駅に自転車をとめて、汽車で岩原駅まで戻ってきて家に帰ってきます。

ここから、青年の登場です。

朝、9時頃に家を出発して、汽車で岩原駅から小歩危駅まで移動します。
それから、魚屋のおじさんが置いていった自転車に乗って、岩原方面へ走って行きます。自転車に”大きな氷”を乗せて。


青年は、吉野川を上流へ走りながら、吉野川で釣りをしている漁師さん達から”鮎”を集めるのが仕事なのです。


当時は交通量もかなり少なく、道から川に向かって、声が簡単に通ったそうです。漁師さんも、ある程度どこにいるか把握していたそうなので、自転車で移動しながら、道から鮎が釣れたかどうか聞いていくのです。釣れていた場合は、川まで降りて、伝票と引き替えに鮎を受け取ります。気分のいいときは、氷を削って漁師さんにあげたりしていたそうです。
そうこうしながら、重い自転車を必死の思いで走らせ、汗だくになりながら働いたそうです。

集めてきた鮎は、”セイロ”に氷詰めして、おがくずを混ぜて溶けにくくし、その日の深夜の貨物列車で関西に送られていったそうです。

小歩危から岩原までは、緩やかな登り坂になるし、道も砂利道で、ホントにつらかったそうです。短い期間だったそうですが事細かに覚えているので、よっぽどきつかったんだろうなぁ~と思いました。

昔の吉野川の鮎は、それはそれは見事だったそうです。


この話をしている時の区長さんが楽しそうで印象的でした。辛くも楽しい人生のひととき。そういったものを僕も楽しく話せるようになりたいなぁと思います。
  1. 2010/03/22(月) 22:31:23|
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